
2003年4月
話といえば、私はもともと大声のおしゃべりだから、子供達二人にする夜のお話は種切れすることがなかった。子供を持ったのは人生20年を過ぎてからだったから、思い出を適当な自作ストーリーにすればよいだけのことで、プロデューサー兼アレンジャーであるから時間を見ながら話をしないといつまでも終わらない。これは父親譲りで、父も弟が小学校を卒業する頃までほとんど毎晩お酒臭い声で話をしてくれた。そのほとんどが第二次世界大戦で大陸に従軍していた時のもので、飛躍して中国の昔話もあったし、中国人が聞いたら何語を話しているのかと思うような本物の中国語で、歌を唄って、挙句の果てに胡弓とヴァイオリンは似ているところがあるから、「よく聞いて明日ヴァイオリンで弾いてみな!」などと言う。父の歌のレパートリーは、子供としては歓迎しがたい「アロハオエ(ハワイ語)」、「モンパリ(フランス語)」、「菩提樹(ドイツ語)」、「ゴンドラ(イタリア語)」。役に立ったかもしれない英語の歌は一つもなかった。今考えるともっと夜が長くてもよかった。みどりも龍も私がふっと眠気に襲われると決まって、「ママ、それから?」「そして?」と続きをねだる。子供は早く寝るほうがよい。
それにしても最近の親は、どんなお話をしてくれるのだろうか?どんな子守歌を唄うのだろうか。
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